高麗人参には非常に長い歴史があります。
古くから漢方の王様と位置付けられて珍重され、現在もその認識はほとんど変わっていません。
高麗人参は現在でこそ栽培が可能ですが、古くは朝鮮半島と現在の中国がある地域の一部にしか自生しない、とても希少価値の高い存在でした。
そのため高麗人参の歴史は文字通り朝鮮(高麗)から始まり、少しずつアジアに広がり、現在では世界的に有名な存在になりました。
そして高麗人参の栽培は事実上、日本人によって実用化されたという歴史があるのです。
中国には4000年以上の歴史があると言われ、高麗人参もそれと同じくらい古い歴史があるという説も根強く存在します。
歴史上、最も古い医学書である【黄帝内経】や【急就章】に、すでに高麗人参に関する記述が確認されています。
これらの医学書は中国の前漢時代の遺物で、紀元前200年頃のものです。
これらの非常に古い医学書に記載されているということは、高麗人参が発見されたのはさらに古い時代ということが考えられます。
少なくとも高麗人参は約2200年も前から珍重されていたという歴史があるのです。
医学がほとんど発展していない当時では、高麗人参の高い抗酸化作用(アンチエイジング効果)や万病予防の効果から、寿命を延ばす妙薬であると信じられていたようです。
当時、高麗人参は朝鮮半島と中国の限られた範囲で、非常に草深い山中などにひっそりと自生する存在で、供給は極めて少なく、時の権力者が大変な労力をかけて入手する、まさに幻の存在でした。
そのようなローカルな存在であった状態が1000年以上も続きます。
そして海を隔てた日本に伝わるのは奈良時代のことです。
日本には奈良時代(西暦700年頃)に唐や高麗と国交がありました。
高麗人参が日本に伝わったのもこの頃です。
しかし当時では当然貴重品のため、存在を知ったのは日本でも一部の身分の高い層だけです。
本格的に輸入が始まったのは室町時代(西暦1300年頃)です。
日本では江戸時代初期から徳川幕府が主導で高麗人参の栽培研究が本格的に始まり、江戸中期には栽培の成功にこぎつけ、現在に至ります。
紀元前1世紀頃、朝鮮半島では高句麗、百済、新羅、という王朝が支配していました。
これらの王朝が朝鮮半島で採種される高麗人参をほぼ独占していました。
それから19世紀の李王朝まで、立て続けに様々な王朝が朝鮮半島を支配下にしていましたが、いずれの王朝も高麗人参産業をガッチリと独占し、日本や東南アジアへの貴重な貿易品として歴代王朝の財政を支えてきました。
そのため朝鮮半島では数百年の間に需要が絶えることはなく、常に乱獲したため、自生する高麗人参はかなり減少してしまいました。
現在でも朝鮮半島に自生にする高麗人参は超貴重品です。
朝鮮半島の高麗人参は乱獲によって数が減り、高麗人参探しを生業とする職人たちが困窮し始め、彼らが栽培を始めたのが栽培の歴史のスタートという説が有力です。
しかし朝鮮半島で栽培された高麗人参の品質は天然物とは程遠く、さらに歴代王朝から栽培を厳しく制限されていました。
高麗人参が貴重な貿易財源である歴代王朝にとって、高麗人参は幻の存在であるほうが好都合だったのでしょう。
そのような理由から、朝鮮半島の高麗人参栽培の記録はほとんど残っておらず、いつ頃始まったかに関してはハッキリしていません。
韓国では高麗人参の栽培を厳しく制限する時代が何百年も続いたため、韓国の高麗人参の歴史において、栽培は成功に至りませんでした。
現在のように、韓国がそれなりの品質で栽培出来るのは日本統治時代に日本からの栽培技術を逆輸入したからです。
高麗人参の栽培はおそらく朝鮮の方が早いのですが、本格的な栽培に成功したのは日本だったのです。